やっぱし中国に帰りたい

昨日まで日記が書けなかった理由には、色々父親の事で悩んでいたからだ。
もう74歳くらいになるのだが、昔から父親とは折り合いが会わず、じっくり
とことん話しをしたという事はあっただろうか。
それでも、幼稚園くらいの時はおぼろげに、どこかに連れていってもらうという
記憶があった。しかし、父が祖父との間でお家騒のような事になり、私も祖父の
家に遊びに行くというのが小学校に入ったと同時に無くなった。
決定的に彼が変わったのは、祖父から会社を継ぎ副社長から社長になったときから
だろう。意見に耳を傾けるという事は一切なかった。
今週半ば、実家で大喧嘩となり「会社を辞めろ!」まで言われた。

離婚騒動もあり、唯一自分の牙城すらもなくなり、今自分には家族というもの
がない。実のところ、中国のシンセンの人たちが自分にとっての暖かい家族
みたいなもの。3度の食事を一緒の器から、各々の箸を突つきながら食事を
する一時。エージェントのボスも、僕を本当の家族だと迎えてくれている事に
ただただ感謝している。
昨晩、松戸の自宅近所の酒場で一杯やってた。
居合わせた客(=おばさん風)が、易に知識があるらしく色々人生相談に乗って
いるらしい。「貴方には父親の悪影響というか呪縛がかかっている。そんなの
無視して自分の人生を歩みなさい。等」

やはり自分の人生はだれが決めるべきものではない。自分が決めるべきもの。

今日、用事があって会社に来ている。
会社のPCから打っている。
しばらく一人になって考えよう。

でも、自分はけして一人ではない。
それを信じて生きて行こう。